ビル・ゲイツの罪と罰

ビル・ゲイツの罪と罰―私がマイクロソフトを辞めた理由

ビル・ゲイツの罪と罰―私がマイクロソフトを辞めた理由


結構前から部室に置いてあって100ページ目ぐらいまで読んでから
そのまま読むのをすっかり忘れてたんだけど, ゲイツ氏が引退するというニュースを聞いて
また読んでみようという気になったので読んでみてさっき読み終わった。
タイトルはあんまり気にしなくていい。
本書は暴露本でもなければ批判本でもない。
まだマイクロソフトが(比較的)小さな会社だった頃から
世界最大のソフトウェア企業になっていく様(1980年代〜1995年頃)
を見てきた元Microsofteeが書いたドキュメンタリーといった感じ。
(ただし, 最後の方に書かれている司法省との独占禁止法違反を巡る争い
に関してはかなりtasteが異なる。)

これがかなりおもしろい。WindowsNTの開発秘話は闘うプログラマ
書かれているけど, こっちにはMS-DOS, Windows95, 98の開発秘話が
書かれてる。しかも著者のエラー氏がゲイツ氏にかなり近い古参の開発者
ということもあってか話が生々しい。

ほかにもWindowsという絶対的な優位性を持つ資産を武器に競合他社を
いかにして叩き潰してきたかをペンウインドウズを例に書かれてたり,
WindowsグループとNTグループの対立, IBMとの決別(闘うプログラマにも書かれている)なんかが書かれていてどれもおもしろい。


そして膨大な額のストックオプションで既に百万長者になっていたエラー氏
が社内での権力闘争や上司との付き合いに疲れ果てて,
若かりし頃のマイクロソフトの環境に戻りたいと思いつつも
もうそれは無理だと悟って退職を決意するところはどことなく
哀愁が漂っていてしんみりとした気分になること請け負い。

優秀な人間を遊ばせ, 今までとは違うことに挑戦させることに関しては,
ゲイツはかなり長けていた。しかし, エラーがすぐに気づいたように,
ゲイツの武官と廷臣たち, 縄張り争いに血道を上げる副社長という肩書きの俗物たちは, そのことを脅威と受け止めるのだ。エラーが心の底から望んでいた最低条件は「自由」だったが, それをマイクロソフトで手に入れることはもはや不可能ということも知っていた。
(第11章 さらばマイクロソフト P.236より)


マイクロソフトはどんどん巨大化していって動きが遅くなり,
ベンチャーにつけ入る隙を与えてしまった。

才能と想像力を働かせ, すばらしいものを作り上げることに喜びを見出す
もいる。単に権力だけを欲する人もいる。悲しいことだが, 組織が発展
するにつれ, 後者の人間が役職に据えられるようになる。マイクロソフト
例外ではない。さまざまな命令系統が複雑にからみ合い, ことを起こそうと
思えば, あちこちに気をつかわなければならない。マイクロソフトIBM
成り下がってしまったのだ。
(第11章 さらばマイクロソフト P.236より)

Googleは特に(優秀で)才能と想像力を働かせ, すばらしいものを作り上げる
ことに喜びを見出す人たちを集めてると言われるけど,
いつかIBMマイクロソフトと同じ道を辿るんだろうか?


IBMのメインフレームのような中央集権的なコンピュータから
WindowsによりPCが普及してコンピュータは分散し,
再び, Googleのようなある意味中央集権的なコンピュータが登場しているのが現在。
時代は再び分散に向かうんだろうか?


「歴史は繰り返す」とはよく言うけど, ルールが変わるのはそんな時なのかもしれない。